アメリカでWebエンジニア

30代でアメリカへ大人留学をしてみたらこうなった。必要な英語力や困ったこと。

こんな方におすすめ

  • 脱サラしてアメリカに留学をしようとしている方
  • アメリカ留学でどのくらい英語力が上がるか知りたい方
  • 大人留学者の人生をちょっと覗いてみたい方

 

私は30歳の時にサラリーマンを辞め、学生としてアメリカへ留学しました。気づけばそれから12年。渡米を決めた時は「現実逃避でしょ?」とか「どうせ1年くらいで帰ってくるんでしょ?」とか「いい年していまさら留学(笑」とかいう人もいました。

確かに学生の留学とは違い、大人留学には背負うものがあります。キャリアを止めてしまうリスクや、金銭的なリスクもあると思います。特に私のように脱サラして留学する場合は相応の覚悟は必要だと思います。

 

留学は目的ではなく、手段です。

目的がないとほぼ失敗します。1年留学して何も得ずに帰っていく人を何人も見ました。なので誰でも彼でも何歳でも大人留学したほうがいいよ!とは言いません。お金も時間も有限ですからね。

しかし、どうしても譲れない目的があるのなら迷わず留学してみてください

想像している以上の経験値を得ることができます。私のことを全く知らないと思いますが、勝手に保証します。

 

成功は必ずしも約束されていないが、成長は必ず約束されている。
アルベルト・ザッケローニ(イタリアのサッカー監督 / 1953~)

参照:http://ruimaeda.com/encourage-phrases/

 

出だしからかましてしましましたが、

アメリカに留学をするにあたり、まず気になるのは英語ですよね。

今回は30代が大人留学をするにあたり、どのくらい英語力が必要か、そして上達のレベルに合わせてどんな問題が出てくるのかについて書いてみたいと思います。全て私の体験談です。

 

留学前

「なぜ留学をしようと思ったの?」という質問をされることがよくあります。私の場合、理由は2つありました。

1つ目は仕事に関することです。

当時、米国に本社がある会社で働いていたのですが、主な仕事は米国で立ち上がった技術を日本用に※ローカライズすることでした。はじめは海外の技術にダイレクトに触れることができて楽しかったのですが、「どうせならサービスが生まれる土地に行って、自分もそちら側に回りたい」 と思う気持ちが強くなってきました。

 

ローカライズとは?

海外で出来上がった技術、サービスを日本向けに改修することです。わかりやすいところだと英語の管理ページやマニュアルを日本語に書き換える”言語のローカライズ”です。

言語以外にも仕様を日本独自の文化に合わせる”機能のローカライズ”もあります。Eコマースで言えば、コンビニ決済や時間指定配送など日本独自のサービスを追加してあげることが機能のローカライズになります。

 

2つ目は言語に関することです。

当時のお付き合いしていた彼女が留学経験者で英語がよく話せました。そんな事情からよく外国人がいる場所へ一緒に遊びに行っていたのですが、その場で英語が話せない自分だけという状況が間々ありました。

自分も英語しゃべれたらなというもやっとした気持ちはあったのですが、なかなか行動に移せずにいました。

そして、そんなもんもんとした状態を打ち破る出来事は突然やってきました。

 

その日は彼女と都内のアイリッシュパブに行きました。たまたま店内にいた米兵グループと仲良くなり、一緒に飲むことになりました。来日したばかりで日本語はほとんど話せなかったため、当たり前ですが彼女も含め英語で盛り上がっていました。もちろん僕は蚊帳の外です。

今思えば完全なる被害妄想ですが、英語を話せない僕を馬鹿にしているんじゃないか、なんて余計なことを考えていました。

そんな中、米兵グループの一人がポケットから小さいメモを取り出し、何かをぼそぼそっと私に言いました。おそらく日本語だったと思います。それまで英語で饒舌だった彼が急に恥ずかしそうにメモ見ながらそんなことを言うので、思わず私はこんなことを口走りました。

 

笑う男
はー?何言ってるかわかんねーよー(笑

 

すると、それまで笑っていた彼女が急に真顔になり、結構きつめにこういわれました。

 

怒る女
なんでそういうこというの?○○(僕の名前)は外国で暮らすことの大変さがわからないんだよ
笑う男
・・・・

 

注意されたという認識はありましたが、当時はその意味があまりわかっていなかったと思います。

ただその日以降、ずっとその言葉が頭から離れず、自分がものすごく小さい人間で世の中の事を何にも知らないんじゃないか という感情がどんどん大きくなってきました。年齢でものをいうわけじゃありませんが、その彼女は自分よりも5つも年下。

「5つも年下なのに自分の知らない世界をたくさん知っている。自分は井の中の蛙どころかノミだ。やばい。まずい。早く外の世界を見ないと!」

 

その出来事から2週間後、留学を決めました。そして6週間後には退職届を出していました。

人生にはその後を大きく左右するようなターニングポイントがあります。

あの日、あの夜、あのアイリッシュパブで、あのアメリカ人グループと話さなければ、彼女が自分のことを注意しなければ、今こうしてアメリカで暮らしていないと思います。

 

笑う男
サンキューあのときの米兵、サンキューあのときの彼女

 

当時の英語力について (経過年数:0年)

パブでの出来事以前はTOEICすら受けたとこがありません。英語力は大学の入試英語レベルといったところです。

日本語字幕がなければ英語の映画は理解できませんし、英字新聞は2~3割わかれば良い方、英語小説は3ページで睡眠突入 といった感じです。

 

そんな私ですが、パブの一件で一念発起、それからは通勤電車の中はもちろん、仕事終わりで地元のモスバーガーに閉店までこもって勉強していました。空き時間は英語でネットサーフィン、技術的な調べものは全部英語。DSのソフトじゃないですが、本当に ”英語づけ” でした。

そんな状態だったので、会社の先輩に「外資に転職でもしようとしているの?」と言われたりしていました。

 

TOEICの勉強を始めてから6週間ほど経った時に初めて試験を受けました。

620点でした。

この点数でも映画、英字新聞、英語小説の理解度はスタート時とほとんど変わりません。実際は変わったのかもしれませんが、自分の期待レベルには程遠いレベルです。

 

焦りもあったので、その頃始めたのがアメリカ人とプライベート英会話レッスンです。

カフェで待ち合わせして、そこで英会話レッスンをするというもの。スタバとかで見たこともある人もいるのではないでしょうか。あれです。

自分の先生はボストン出身の男の先生で、釣りの話、バイクの話、女の子の話をよくしていましたね。8年日本に住んでいると言っていましたが、全く日本語話せませんでした。どうやって生活していたんですかね。。。

一応教科書があったのですが、あまり使わず、とにかく話して話して話しまくりました。

なぜかと言うと、アメリカで生活するにはとにかく話す能力を上げないとマズイと思ったからです

 

料金は1時間2,000円だったと思います。20代、東京一人暮らし、留学資金を貯金中 というこの状況で1回2,000円は結構厳しかったです。。

ただ、この体験は2つの点でとても役立ちました。

 

1. 自分の英語でも通じるんだ という自信がついたこと

 英語が話せる日本人ではなく、英語しか話せないアメリカ人に通じたという事実が重要でした。

 

2.  外国人に対する免疫がついたこと

 当時の日本における日本人率は99%以上。日常生活で外国人と話すことなんてほぼありません。この体験があったからこそ留学当初からあがらずにアメリカ人と接することができた気がします。

 

語学学校時代(経過年数:0~1年)

当面の目的はUCLAのMarketing certificateを取ることだったのですが、外国人は受講するのにTOEFLのスコアが必要です。ということで留学してすぐは語学学校に行きました。

語学学校のコースについて

私の通っていた学校はESL、TOEIC、TOEFLの3コースがありました。

ESLはEnglisth As a Second languageの略で英語が母国語ではない人が英語の能力を高めていくためのコースです。レベル1~7まであり、入学する時にレベル分けテストを受けて1~7のどれかに振り分けられます。そして3か月ごとに昇級試験があります。

ESLレベル1と2

ほぼ英語能力ゼロの人用です。何にも準備してこなかったんかい!って突っ込みたくなりますが、日本人留学生の6,7割はこのレベルに振り分けられていました。

使用する教科書は中1英語と同等かそれ以下でした。教科書を見せてもらったら、鳥の絵に大きくBird、犬の絵に太字でDogとか書いてあったのを覚えています。

 

ESLレベル3と4

単語やフレーズをつなげてなんとかコミュニケーションが取れるレベルです。このあたりから日本人以外もちらほら現れてきます。

このレベルの面白いのは相反する2つのタイプの生徒が混在していることです。

1つは日本人のように読み書きできるけど話すことと聞くことができない生徒、もう1つは逆に話すことと聞くことはできるけど、読み書きができないというタイプです。ちなみに私はレベル4スタートでした。

 

例にもれず日本人の私はレベル4でもろくにしゃべることができません。入学2日目、そんな私に悲劇が訪れました。

その日は二人一組で行う課題。私はヨーロッパの女性とペアになりました。片方が質問してもう片方が答えるのですが、緊張もあり、ほとんどしゃべれません。するとその生徒が突然先生に言いました。

 

怒る女
私は英語を話すために学校に来ているのに、なぜ英語が話せない人の相手をしなければいけないのか

 

めちゃくちゃ恥ずかしかったし、情けなかったです。そんなことをみんなの前で言うその子のパーソナリティもどうかと思いますが、言っていることは正しいと思います。

 

ESLレベル5と6

授業で先生が話していることがほぼ理解でき、ちゃんと英語で質問ができるレベルです。ここから欧州出身の学生がぐっと増えます。

このレベルになると面白い現象がおきます。ヨーロッパからきている生徒はヨーロッパの生徒とつるみ、アジアの生徒はアジア人で固まる率が高くなります。

おそらく、英語を話しているだけで楽しいという時期を過ぎ、近い文化の人たちと情報交換や楽しみを分かち合うことが優先され始めるからだと思います。

 

ESLレベル7

なんで語学学校にいるのかわからないレベルです(笑

普通に先生と世間話をしています(少なくとも私にはそう見えました)。

 

TOEIC、TOEFLクラス

ESLが英語全般を教えるのに対し、TOEIC、TOEFLはその試験の点数をあげることを目的としたコースです。

TOEFLクラスはESLレベル5になると編入することができます。自分は最初の3か月ESLに入り、残り6か月はTOEFLコースに行きました。

 

TOEFLコースはIntermediate(初級), High Intermediate(中級), Advanced (上級)に分かれていて、模擬試験の結果によって昇級していきます。

このコースに在籍する人は大学やコミュニティカレッジ、大学のExtension合格を目指す人たちなのでESLコースの生徒とは本気度が違います

TOEFLコースの授業は毎週模擬試験があるので結構シビアでした。レベル的は初級がTOEFL IBT(120点満点)で60点以下、中級が60~80点、上級はそれ以上という感じです。

どんな大学、Extensionを受けるにも最低80点は必要なので、だいたいの生徒は最終的には上級まで行って、卒業していきます。

 

友達付き合いに関しては、TOEFLコースにいる人はとにかく勉強一色なので学校の後に遊びに行くようなこともなかったです。

なので、本当に英語を学ぶならTOEFLコースに行くことをお勧めしますが、短期でアメリカ生活を楽しむならESLのレベル1,2あたりが一番楽しいと思います。私が今入学するとしたら、レベル1,2を志願します。

 

UCLA Extension時代 (経過年数:1年~2.5年)

渡米1年が経ち、やっとTOEFL80点をクリアしました。無事UCLAのMarketing certificateコースへ潜入成功です。これで語学学習とはおさらばかと思いきや、UCLAのESLコースに入れられました。全ての留学生ではないと思いますが、英語能力が低いとこれが必須となります。

ここはIntermediate(初級)Advanced(上級)の2クラスありました。

初級といってTOEFL80点をクリアしている生徒たちなので、語学学校でいう最高峰(ESL レベル7, TOEFL Advanced)のスキルはあります

UCLAのESLはCertificateの種類関係なくすべての生徒が1つのクラスに入ります。LAという場所がら、映画や音楽などのエンタメ系コースの生徒も多く、とても刺激になりました。ちなみにMarketing certificateは私一人でした。留学生でがっつりビジネスを学ぶ人はMBAに行くのかもしれません。

UCLAのESLの質はどうかというと、正直その前に行っていた語学学校とあまり変わりはなかった気がします。授業料は数倍高いのに。。

 

一方、Marketing certificate本体の授業の方はどうだったかというと、授業中も授業後もめちゃくちゃしんどかったです。

マーケティングコースということもあるのでしょうが、生徒はほぼ全員アメリカ人でした。当然授業スピードは英語ネイティブな人に合わせて行われるため、気を抜くとすぐに迷子になります。渡米してから初めてアメリカ社会に入った気がしました

課題も結構な量が出されます。英語ノンネイティブの自分からしたら一日フルに使ってやっと終わるレベルです。

またグループワークも頻繁に行われるため、学校外でも連絡を取りながら課題を進める必要がありました。全員が学業オンリーだったらいいのですが、エクステンションプログラムは基本社会人向けなので、彼らの仕事を邪魔しないようにスケジュールを組む必要もありました。

 

ちなみにこの頃どのように英語の勉強をしていたかというと、映画を英語字幕なしで観て書き取りをしたり、英語の小説やビジネスの実用書を読んでいました

理解度はというと、映画はジャンルによっては8割、平均すると6~7割くらい理解できるといったところです。

School of Rockは初めて完全に聞き取れた思い出の映画です。だからJack Blackは大好きです。子供たちがメインの映画なので簡単な英語を使っているのだと思います。ぜひ字幕なしで挑戦してみてください。

 

本に関しては小説は相変わらず難しく、ターミネーターは2ページ目で挫折したのを覚えています。たまたまかもしれませんが、小説は作者によって言い回しが難しいことがあります。対して実用書は表現のぶれが少なく、日本語の同様の本を読んだときの60%くらいの速さで読むことができました

 

プログラマ時代(経過年数:2.5年~4年)

UCLAに限らず、所定のエクステンションプログラムでCertificateを取得するとOPTという資格が得られます。この資格があると1年~1年半ほど合法的にアメリカで働くことができます。留学生はこの期間を使って企業で就業体験をします。運良く気に入ってもらえるとそのままビザサポートをしてもらえます。

 

ビザサポートについて

H1やE2といった就労ビザを取るためには企業にスポンサーになってもらう必要があります。つまりその企業がどうしても必要な人材だからこの人を雇いたい という意思をアメリカ政府に伝える必要があります。これがビザサポートです。

どんな会社でもビザをサポートができるわけではなく、売り上げや社員数、日本での活動、本社の規模など、さまざまなポイントがあります。

 

OPTの受け入れ先は自分で探す必要があります。私の場合は企業のホームページに書いてある連絡先へ直接メールや電話をしました。

大人留学を考えている方が注意をしたほうがいいのは、Certificateを取ったからといって、そのCertificateに関係する仕事がすぐに見つかるわけではないということです。

私の場合、マーケティングのCertificateを取得しましたが、市場で評価されるのは私のエンジニアとしての経歴です。マーケティング職にこだわると、給与やその後のビザサポートを妥協する必要があるため、エンジニアをしながらマーケティング仕事もかじれる会社を選びました。

そういうポジションが空いていたのは本当にラッキーでした。

 

英語のほうはどうかとうと、最初の1,2年は完全にプログラマーとして仕事をしていたので、仕事で使う英語は技術調査のみでした。正直、この時期は会話能力はUCLA時代よりも落ちていたと思います。

さすがに危機感を感じてこの頃Language Exchangeサービスでアメリカ人友達を探し始めました。

 

Language Exchangeについて

異なる言語スピーカーたちがお互いの言葉を学びあう方法です。どちらかが一方的に先生になるわけではないので基本的に費用は発生しません(主催者へ参加費用を払うケースはあります。)

 

いろいろと意見はあると思いますが、日本人男性がアメリカでアメリカ人友達を見つけるのは簡単ではないと思います。ここでいう友達とは利害関係や恋愛関係のない純粋な友達という意味です。

そういう意味では自分は本当にラッキーだったのですが、ある時、テキサスにいるアメリカ人男性から言語交換しようというコンタクトがありました。

彼の主な目的は、今度日本人女性と結婚するからむこうの親へのスピーチを一緒に考えて欲しいというものでした。これって意外な盲点ですよね。これは確かにGoogleさんでも難しいと思います。

そんなこんなで何度か電話やメールをしているうちにテキサスへ遊びに来いと言われました。

 

ただ、問題はお金です。OPT中で給料も高校生のバイト並みだったので飛行機代が捻出できない。。 ということを正直に彼に行ったら、なんと払ってくれるとのこと。自分が女性だったら間違いなく疑うレベルです(笑

男でも本来なら疑うべきかもしれませんが、思い切って突撃することにしました。

 

足下を掘れ、そこに泉あり
ニーチェ

参照:https://iyashitour.com/meigen/greatman/nietzsche/4

 

男女のマッチングじゃないのでお互い写真を送りあう事もなく、顔もわからず。降り立ったのはテキサス・San Antonio空港。

アジア人がほとんどいないのですぐに彼が私を見つけてくれました。

 

家族や友達をたくさん紹介してくれました。

彼の父親はNBAの大ファンで機関銃のようにうんちくを話しかけてきたのですが、テキサスなまりがひどくて言っていることがほとんどわかりませんでした(笑。

後日、それを彼の友達に言ったら「問題ない、俺もわからない」と言われました。

 

アメリカ英語のなまりについて

アメリカ人の英語には方言があります。有名なのはテキサスを含む南部なまり、ニューヨークやボストンの東海岸なまりです。ニューヨーカーはよく「俺はニューヨークなまりがあるからね」と言います。多分自慢だと思います。

カリフォルニアは標準語に近いと言われます。アメリカ人以外も多く住んでいるため、アクセントが少なく、スピードもゆっくりでわかりやすい英語だそうです。

なので、カリフォルニアで英語慣れてきたなーと思ってた人はなまりの強い地域に遊びに行くと一回挫折します。

 

彼は本当にナイスガイで、たくさん友達を紹介してくれて、みんなでべろべろになるまで飲みました。彼と合ってまだ1日目の出来事です。(下戸じゃなくてほんとうによかった)

お酒は力は偉大です。国境を軽々と超えます

 

2週間ほど彼の実家に泊まらせてもらったのですが、この期間は一切の日本語を断ちました。自分は英語しか話せないと思い込んで過ごしました。

すると何が起きるか、思考が英語になっていきますアメリカ人と自分との境目がなくなっていきます

伝わりづらいかもしれませんが、例えば誰かに話しかけるとき「よし、英語で話しかけるぞ」という前置きがあってから話を始めていたのが、そのプロセスをすっとばしていきなり本題に入れるようになった感じです。

 

それが如実にでたのが、テキサスから帰ったLA空港での出来事。ケータイの充電がなくなってしまったので迎えに来てもらうはずの友人と連絡が取れず困っていました。

以前なら空港のInformationに行って事情説明して充電できるところを聞いて、、、なんてやっていたと思うのですが、気づいたら近くにいたアメリカ人に事情を説明をして1分だけケータイを使わせてくれないか と交渉をしていました。

テキサスへ行く前の自分だったら考えられないことです。貸してくれませんでしたが(泣)

 

この頃までに英語力は現在の8,9割まで到達していると思います。自分の英語人格はこの頃に出来上がったと思います。

 

言語ごとのパーソナリティについて

話す言語によって性格が変わる人、結構います。典型的なのは日本語だと控えめでも英語になると大胆になるケースです。英語は行間読みがあまりないので表現が直接的になりやすいです。アメリカ人が交渉に強いのはこの特性があるからだと思います。自分も英語の交渉だと強気になりがちです(笑

 

 

フロントエンジニア時代(経過年数: 4年~7年)

渡米4年、働き始めて2年が経つ頃には開発に加え、営業の仕事が増えてきたました。

フロントに立って英語でシステムの営業、提案をする必要があるため、この頃意識していたのがビジネス英語の習得です。同僚と話したり、利害関係のない相手との会話においては会話英語でも大丈夫ですが、ガチのビジネスシーンになるとそうはいきません。

頼りないと思われたら決まるものも決まらなくなってしまいます。

 

ということでこの頃ビジネス英語を学べる学校へ行き始めました。英会話レベルであれば※アダルトスクールなどがあるのですが、ビジネス英語、かつ仕事終わりで間に合う学校というのはあまりないのです。

当時はあまりなかったのですが、今なら間違いなくオンラインクラスにしますね

 

アダルトスクール

市が運営している大人向けの学校です。語学だけでなく、パソコンやギターなどいろいろな技術を教えてくれます。教科書は購入する必要がありますが、授業料は非常に安いか無料です。

 

私は幸運にもITのビジネスバックグラウンドがある先生と知り合うことができ、彼にメールの書き方や電話の応答、エレベータートークなどをアメリカ人視点で教えてもらうことができました。

後半はプライベートで飲みに行ったりもしていました。

そんな彼はJETプログラム(日本で英語を教えるプログラム)で日本へ行き、見事日本人女性と結婚しました。

先のテキサスの友人の場合もそうですが、日本人女性が好きなアメリカ人とは友達になりやすいです

 

 

英語能力はどんなもんかというと、車のディーラーで値段交渉したり、弁護士を通さずにグリーンカードの手続きを進められるレベルです。100%ではないですが、日常生活ではあまり英語に困ることはなくなってきていたと思います。

ちなみにこの頃TOEICを無勉強で受験してみました。

なぜ無勉にしたかというと、対策をしてしまうと純粋な自分の英語能力が測れないからです。

結果850点でした。

留学前が620点だったので、スコア上の差はたった230点ほどですが、使える英語という点では2300点くらい上昇していると思います。

 

エンジニア兼マネジメント(経過年数: 7年~)

マネジメント職になってくると面接をする回数が増えてきます。

当然英語しか話せない応募者もいるため、挑戦者ではなくてジャッジする側で英語を話す必要があります。経験した方はわかると思いますが、これが結構なプレッシャーです。

変な英語を話すと会社自体が悪く見られてしまわないかと考えるわけです。というわけで面接があるときは数日前から練習をしていましたね。面接をする側なのに(笑

質問を聞き返された時なんて、ちょっと心臓がバクっといってました。全然気にする必要ないのですけどね。アメリカ人同士でも聞き返している場面をよくみるので。

 

この頃の、、というか今の英語能力は下記のような感じです。

 

書く能力

この頃になると英語のフレーズがかなり脳にストックされてきます。メールやプレゼン資料を作るときも日本語で書くのと同じような感覚で書くことができます。もちろん日本語と比べるとボキャブラリーは貧弱ですが、言いたいことことはちゃんと伝えることができます。

 

読む能力

英語を読むのはほぼWebサイト上の文字ですが、流し読みができるくらいのレベルにはなります。日本語の文章を読む時に一字一句きっちりとは読みませんよね。さーっと呼んで理解するといったあの感覚です。普段の生活で意味が分からない単語に出くわすのは1か月に1回くらいです。

 

話す能力

年齢もあるのかもしれませんが、環境に動じることなく堂々と話せるようになりました。ポイントはゆっくり話すということです。英語に慣れていないと焦って早口になりがちなので、ゆっくりすぎじゃないかと思うくらいのスピードでちょうどいいと思います。

 

聞く能力

これも脳にストックがだいぶできているので、全部聞き取れなくてもある程度補完できるようになります。ニュース英語はほぼ問題なくわかります。砕けてくるとちょっと怪しくなってきます。

 

まとめ

留学前、「きっとお前はもう日本には帰ってこないと思う」と言われました。

そんなつもりはなかったし、長くても5年くらいしたら日本に戻ろうと思っていました。アメリカ在住者が日本に帰ろうと思うタイミングは1年、3年、5年、10年と言われています。

確かにそのタイミングで帰る人は比較的多いと思います。10年の次がないのは、10年を超えるとだいたい永住組になるためです。

私はすでに12年が経過しました。結婚もし、生活基盤はすべてアメリカです。確実にこちらに根を下ろしつつあります。

昨年日本に一時帰国をしたのですが、帰ってきたというより、旅行者として日本に来た気分でした。正直、もう自分が日本とアメリカのどちらに所属しているのかわからなくなっています。

 

アイデンティティクライシスという言葉があります。親が移住組で海外で生まれ育った子供が陥るもので、自分のアイデンティティがどこにあるのかわからなくなる現象です。

日系2世であれば、日本人の見た目だけど、日本の文化をあまり知らなかったり、日本語より英語が得意だったりする場合、いったい自分はアメリカ人なのか、それとも日本人なのかがわからなくなるということです。

大人になってからアメリカに来た自分でさえこうなのに、子供は大変だと思います。私の妻はまさにこれで幼少期は苦労したと言っていました。

そしてわずかながら私もそれと似た状態になってきています。

 

「きっとお前はもう日本には帰ってこないと思う」という言葉がリフレインします。

このままアメリカに永住するか、日本へ戻るかはまだ決めていません。自分と家族にとって一番よい環境に身を置いていたいと思います。

 

これから大人留学をしようと思っている方へ。

こんな人生もあります。人生にIfはないので留学をしなかったらどうだったのかはわかりません。ただ、今はとても幸せです。人間関係的にも経済的にもとても恵まれた場所にいると思います。

自分はただラッキーだったのかもしれません。しかし、1歩踏み出した先に何があるか、それを見るも見ないもあなた次第です。

 

 

疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(アメリカの牧師 / 1929~1968)

参照:http://ruimaeda.com/encourage-phrases/

 

 

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